郡山市民からのメッセージです。
郡山市内がうるさくてしょうがない。精神的につらい。何とかしてほしい。郡山市民すら全国各地へ逃げているのに、何故わざわざ線量が高いこの地に来ているのですか?
「うすい」へ行って高級のバックを2~3個買って、「補償してもらえば良い」、と大きな声で話している姿を見ると、同情の気持ちすらなくなる。
他人に迷惑を掛けるのは良くない。米だって、野菜だって福島県産のものは安く、農家の方たちがかわいそう。
インターネットで「福島たかり」を検索してみてください。また、新潮の「補償金立地」という記事も見てほしい。
出て行けとは言わない。お金が入るのもかまわない。
もう少し、小さい声で話してほしい。
郡山市民 女性
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とても悲しい。原発事故から1年を迎えた。被害者意識、不平不満だけでは問題の解決にならないことは自明である。復興に向け補償問題は重要だが、それがあまりにも前面に出過ぎるのも問題だと思う(置かれている状況が違うからそんなこと言える、と叱られるかもしれない)。あくまでも復興・新生が先で、それに伴って付いてくるのが補償ではないだろうか。
中央紙を読むと震災を扱う記事のボリュームが少なくなってきていると感じる。福島県以外の地方紙では押して知るべし。少しずつはあるがメディアの露出度に差が生じている気がする。被災地以外の福島県民をはじめ国民の見方が変わってきているのかもしれない。1年も過ぎれば風化していくのも当然だがその変わりようが怖い。当初は未曾有の事故に対する関心も高かったが、時間の経過とともにさめた見方もある。
一部の避難者であると思うが、上のようなご指摘はその一例である。窮屈な非難生活を続けていれば買い物もしたくなる。たまにはカラオケや居酒屋で一杯も当然である。しかし避難者だからといって全てのことが許されるものではないし、わがままはいけない。口にしていけないこともあるのは当然。避難生活をしていても地域コミュニティの一部であることを理解していなければならない。そこには義務とルールがある。
避難生活で初めて都市部の生活を経験した村民もいるだろう。一歩街に出れば医療資源は豊富だ。買い物も選択肢が多い。文化的な触れ合いも身近に可能だ。村で生まれ村で生活していれば経験できなかったことが、短い時間かもしれないが経験できる。ある意味、運命が与えてくれた機会でもある。村に帰りたいという思いと、現在の便利な暮らしを捨てたくないという思いが交錯する。避難生活はあくまでも仮の生活、おそらく補償もいつの日にか終わる。心の準備は必要だ。