「帰村宣言から一年」
「戻りたい人から戻ろう、心配な人は様子を見てから戻ろう」と宣言してから1月31日で丸一年。自分の故郷・我が家に戻ることがどうしてこんなに難しいのだろうか、と感じた一年だった。ただ単に自分の家に戻るだけなのに・・・。
一年過ぎた今、村民約3000人の内1163名(昨年11月現在、週4日以上村内生活者)、4割が帰村している。帰村宣言は全員で戻ろうとか、いつまで帰還するとかというものではなく、何ら規制や制約があるものでもない。それぞれの意思で判断すべきことと思っている。当然絶対戻らないという選択肢もある。宣言以前に約250名の村民が帰村していた。戻っていた村民からすれば、役場機能を村内で立ち上げてサービスを展開してほしいと願う。「仮設では暮らせない役場が戻るなら一緒に戻る」、と言う村民もいた。現に昨年4月には約540名の村民が戻ってきている。
宣言の本旨は行政機能を最前線に戻し再開すること。現地はどうなっているのか、住民の帰村に向けて何が必要なのか、必要なインフラ整備はなにか、最前線でなければ判断できないことが山ほどある。戻れる可能性があるなら自分たちの手でその可能性を広げていきたかった。一昨年9月30日に緊急時避難準備区域が解除されてから、昨年までの一年間で100回を超える懇談会や説明会、健康に関する相談会を開催してきた。つまり4日に1回何らかの意見交換会を開いてきたことになる。除染や雇用、補償、病院介護、教育、交通、買い物など戻れない課題を次から次と述べる人、さまざまな意見考え方がある中でただ一つ共通していることがあった。それは一日も早く自分の家に戻りたい、元の生活に戻してほしいという切なる思い。
その思いに応えるため役場機能を村内に戻し業務を再開した。なぜなら自分の村のことは自分たちが隅々までよく知っているし、当然自分の村の将来を国や県、東電に任せるわけにはいかない。自分の力で前に進み、切り開いていこうとする思いを無くしたら復興はあり得ない。100人いれば100通りの戻れない課題がある。しかし戻れない理由を100個並べても何の解決にもならない。戻るためにどうしたらいいのか、と考えた方が楽しいに決まっている。自分の故郷、我が家を取り戻すことが出来るのは国や県、東電、他の誰でもない。川内村民自身ではないだろうか。
復興は一言で言えば、生きがいや誇りを取り戻すこと。過日実施した農業者や若い人たちとの懇談会で、事故前より一層何事においても行政頼みになりつつあると感じた。平常時でない臨戦態勢の時だけにその傾向が強まっていることは理解できるが、本来それぞれ個々でやらなければならないことまで行政任せでいいのかと感じた。
例えば、子供の教育は親にとって最高のパフォーマンス、見せ場でもある。お金もかかるし時間もある程度束縛されるが、それは楽しみへの序曲でもあるはず。そんないい場面を行政に全て委ねてしまっていいのかと思う。
農山村の役割は大きい。食料、水、エネルギー、CO2削減など戦略的物資が存在している農山村が疲弊していけば国家的損失。その戦略的重要地域が危機的状況にある。事故前から農山村の空洞化が叫ばれていたが、今回事故を契機により一層耕作を諦める農家が増えている。当然人が住まなくなれば土地は荒れ、コミュニティーが崩壊し限界集落となっていく。農山村で生活する意義や価値観を見いだせなくなり、誇りまで失っていくのではと危惧している。どうすれば生活できるのか、生きて行くことができるのか、住民が少ないなりの新しい取り組みにトライしていく発想の転換が必要だし、くり返しくり返しチャレンジする、そういう姿を子供たちに見せていくも大切ではないだろうか。
都会への憧れは当然であり一度は村を離れ都会で生活してみたいと考える。避難先で病院や買物、子どもの教育、文化的なふれあいなど都会の利便性を感じている住民も多いはず。村民の中には初めて都会の生活を経験した人もいるだろう。自分の人生の中でそれは貴重な経験であり彩でもある。何ら否定するつもりはない。
一度村を離れた子供たちは都会生活の中で、自分の将来の先行きが見えた時期に帰ってくる可能性がある。その時に、「こんなところに帰ってきてこんな仕事するな」と言うのか、「帰ってきて苦しいこともあるけど一緒にやろう」と声を掛けるのか。それは地域や仕事への誇り、川内村民であることのプライドを子供たちにつないでいけるかどうかである。
悲しいことだが事故前に完全に戻ることはできない。精一杯補償や損害賠償をしてもらうことは重要だが、それ以上に大切なことは村民が生きる意欲や誇り、目標を見失わないようにすること。夢や生きがいを見いだせないところに、いくらお金だけをつぎ込んでもそれは本当の復興にはならない。
・除染状況
除染はすべての始まりと考えている。除染無くして復興はない。現在、旧緊急時避難区域の民家99%、旧警戒区域も80%終了。今後農地の一部、道路、水路に着手。森林の除染についてはまだ方向性が示されていないが、やらないという選択肢はないと思っている。今後は除染後の線量を確認し、二次除染と森林除染が課題。
・仮置き場
除染を進めるうえで仮置き場の設置は不可欠だと考えている。現在村内4か所に決定し整備を急いでいる。8区糠塚、貝の坂は国直轄で整備、鍋倉と大津辺は村が整備している。既に鍋倉仮置き場には除去物が入ったフレコンバック45,000袋が搬入され、間もなく完了となる。小笹目地区は現在工事が進められている。貝の坂地区は実証除染時のフレコンバックが搬入されており、本格除染のために糠塚地区と合わせて整備中。
工事中のために仮置き場に搬入できないフレコンバックは、村内の空き地などに置かれている。整備され次第仮置き場に運び出す予定で、現在モニタリングの徹底、巡回などして管理している。
・雇用の創出
3社の企業を誘致、既に2社が操業を開始。旧川内高校跡地に菊池製作所、旧二小体育館に四季工房が操業、まだ雇用が満たない状況にある。コドモエナジーは今年の秋以降操業する予定。今後、介護施設や水耕栽培工場など職種を広げていく予定。村独自の求人案内を作成し配布しているので参考にしてほしい。
・病院介護
昨年の4月から新たに心療内科、整形外科、眼科、循環器検査が診療所で受診できるようになった。救急搬送やホールボディ検査、甲状腺検査では平田中央病院の協力を得ている。介護施設は特養施設を平成26年度には開設する予定で準備を進めている。福祉の仕事を希望している方はぜひ手を挙げてほしい。
・教育
現在保育園10名、小学校16名、中学校14名が学んでいる。新年度(4月)からは小学校6名、中学校1名が新たに戻ってくる。アンケートによると中学生が戻らない理由に、卒業後の高校進路先をあげている。いわき市や郡山市への高校進学を希望した場合、公共交通機関が少ないこと、車での送迎は親の負担が大きいことなど通学することの厳しさを指摘している。そこで村では新年度から通学費の補助や送迎バスの運行を検討している。
少人数教育のデメリットを指摘する保護者もいる。学校では少なければ少ないなりの配慮をしてもらっている。中学校の部活動では個人種目のバトミントンを取り入れ、中体連などの大会にも出場している。学力は先生方の努力もあり個人指導が徹底され学力アップにつながっている。
・道路交通
いわき市に通じる国道399号線、小野町への小野富岡線、田村市郡山市への富岡大越線の整備を要望している。399号線と小野富岡線は国直轄による整備が進む。富岡大越線は拡幅しながらトンネル化を要望している。道路は復興に向けたインフラ整備の核になるもの、その重要性を認識して国県に強く要望している。昨年4月に開設した船引町や小野町へのバス路線は、維持しながらも利用時間帯の検討をしていく。
・買い物
かわうちの湯前のモンペリ跡にファミリーマートが昨年12月オープンした。またこれより先にビジネスホテル誘致し、滞在宿泊を希望する利用者の利便性を高めた。現在生協の宅配やいわき市からの移動販売が実施され、高齢者の要望に応えている。今後商工会が中心となって、宮ノ下地区にショッピングセンターを計画している。旧警戒区域の住民は隣の富岡町や大熊町を買い物や仕事、病院などの生活圏としていた。特に8区民にとってはしばらく不便さが残る。
・住宅整備
村営住宅や若者住宅入居者の意向調査を行い、空き住宅の利用を進めている。入居費については昨年に続き減免する方向で検討している。また現在旧5区集会所跡に14戸の賃貸アパートを建設中、まもなく入居者募集を開始する。
地震で被害を受けた住宅の取り壊しは、がれき置き場の整備が完了しだい進めていく。また新築住宅への助成も検討している。避難している住民の生活環境充実のために災害復興住宅整備を計画している。場所の選定とモデルハウスの建設を予定。一戸建てを中心に提案している。
・農業の再開
農地の除染作業が進み、30ヵ所の水稲実証田と4ヶ所のそば畑のセシウム検査結果は問題ないことが判明、それぞれ作付けを実施することとした。震災後の緑のない風景は違和感を覚え、「田のある風景」を守っていきたい。
作ったものが市場でどんな評価を受けるか心配だが、まず作ってみないとわからない。備蓄米として提案しているが集荷量にも制限がある。今年も補償されることになったが、作付け制限して2年が経ち、就農意欲の減退が危惧される。種もみ購入費の全額補助を決め、少しでも生産意欲を高めていきたい。
原発事故により農業再開を希望する農家は減少すると考えられる。風評被害による価格低迷、農用地の利用率低下、他産業との所得格差が進み労働意欲の低下、担い手不足につながっていく。解消するために農地の集約化は必然。農地の管理や売買できる「農用地利用集積制度」を活用しながら、農地の保全に取り組み、新規就農者ややる気のある農家に支援していきたい。
・再生エネルギー
現在上川内和田山地区高塚団地採草地にメガソーラーを計画している。ドイツの企業が進出を希望しており、農地の利活用について協議を進めている。農地転用化が実現すれば事業そのものが進んでいく。さらに木質バイオマス発電の可能性を調査している。森林整備と合わせ森林除染の減容化として発電所の有益性を検討している。しかし、ランニングコスト、燃料の供給量、環境への影響、灰の処理などクリアーすべき課題は多い。
帰村宣言から2年目、蒔いた種が少しずつ形になって現れてくる。全てのものを川内村だけで完結することはできないが、帰村するかどうかの判断材料になれるよう全力を尽くしていく覚悟だ。都会のような便利さはないが安心して生活できる村をつくっていくつもりだ。村民もどこかで折り合いをつける作業が必要となってくる。自分が生まれ育った村だからこそ情熱を傾けることができる。これに勝るものはない。