17日、三春町交流館「まほろ」で阿武隈地域づくりフォーラム開催された。パネルディスカッションでは、NPOあぶくま地域づくり推進機構吉田桂子副理事長をモデレーターに、道の駅ひらたの高野駅長、霊山里山学校の高野理事長、葛尾じゅうねん企業組合松本理事長、そして僕のパネラーで、実践を通した地域づくりについて意見を交わした。その後全国町村長会長を務める長野県川上村長・藤原忠彦氏が、日本一のレタス生産を通していかに豊かな村に生まれ変わったか、について講演された。
新幹線のトラブルで藤原村長の到着が遅れたために、講演の時間とパネルディスカッションの時間が逆転した。打合せの段階で講演の感想や、コメンテーターとして藤原村長の参加が予定されていたので戸惑いがあったが、モデレーターの吉田氏の素晴らしい対応で、無事ディスカッションを終えることができた。
雪にもかかわらず会場に職員の姿を発見したときは、なんとなくホッとして嬉しいものである。この手のフォーラムのテーマは、定番として想像できると思うが、「あぶくま地域が豊かに生まれ変わるために」、である。パネルディスカッションの内容はともかく、モデレーターがかつて僕も読んだことがある、玉井袈裟男の詩集「風のノート」に触れたことには少し驚いた。
「風のノート」
風は遠くから理想を含んでやってくるもの
土はそこにあって生命を生み出し育むもの
君 風性の人ならば土を求めて吹く風になれ
君が土性の人ならば風を呼びこむ土になれ
土は風の軽さを嗤(わら)い
風は土の重さをさげすむ
愚かなことだ
風は軽く涼やかに
土は重く温かく
和して文化を生むものを
「風」はIターン者、「土」は元々その地に暮している住民、と置き換えてこの詩をもう一度読んでみると面白い。作者は、元々農家に生まれ自分では土の人だと思っていた。しかし人と接し、農家の人々と会う内に、自分は土性の人ではないと悟る。風の人になろうと思い地域や村民の生活向上に、それこそ土を這うように訪ね歩き活動してきた。地域づくりなどの講演会では、しばし引用される人物である。
「風」は色々な価値観や理想像を身に付けてやってくる。当然、地域活性化の名の下に「土」に接近し自分の知識や経験、価値観を「土」に話し、機会を捉えて試みる。しかし、全てがそこの「土」受け入られるかと言えばそうではない。そのために「土」の歴史や暮らしを知るということは大切であり、高い所からの目線でのもの言いは禁物。
「土」もまた、排他的な習慣をあらためて、素人集団の意見にも耳を傾けるべきである。そこには「風」としての人生観や価値観があり、互いに補完しあう存在になるなら、地域づくりのための良きパートナーに成り得ると思うが・・。
詩の終わりに「風は軽く涼やかに 土は重く温かく」と結んでいる。「風」と「土」、つまり「風土」という言葉にはそういう意味合いがあるのかもしれない。時として「土」には連作障害が発生する。やはり変えていく、それも「風」の臭いを嗅ぎながら変えていくことも不可欠だ。そうすれば「和して文化を生むものを」、となるに違いない。