3月1日我が村の高校、川高の最後の卒業式そして閉校式を迎え、60年の歴史を積み上げてきた川高から10名の卒業生が旅立っていった。この1年間あらゆる機会に、「最後の~」という形容詞を数多く聞いたに違いない。そして1日はまさに、「最後の卒業式」「最後の卒業生」。おそらくこの日が来ることをイメージしながら密度の濃い、充実した高校生活を送ってきたと思う。
卒業生にとってこの3年間は、存続問題とリンクして時代の流れに翻弄されてきたと言っても過言ではない。入学して間もない2学期、新年度の募集停止が通達され、2011年3月廃校になることが決定した。社会の変化の速さ、歪み、そして川内村が抱えるあらゆる問題が凝縮されていたのが存続問題。
卒業生はこういう現実的な問題に直接間接的に関わりながら、社会システムの不条理な一面を垣間見てきたのかもしれない。しかし、これから進もうとしている社会は、大なり小なり様々な問題や壁が立ちはだかっている。では、壁に向かってどうするのか?方法は二つ、壁の大きさに驚いて後ずさりをして傍観者でいるのか。あるいは苦しくても壁を乗り越えようと努力するのか。
辛いことに無理にトライしなくてもいいという価値観もあるが、それでは可能性や選択肢を狭めてしまう。困難を遠ざけるのではなく、壁を乗り越えようと努力するそのプロセスにおいて、心の成長や可能性が生まれてくると思う。どちらを選択するかは、今後自分自身が判断し決定していかなければならない。その判断する基準をこの3年間川高でしっかり学んできたはずだ。
60年の歴史の中では川内村立川内高校として存在していた時代があった。貧困との戦いであった時代、厳しい経済環境の中で、せめて高校だけは出してやりたい、教育だけは受けさせたいという親の思いを適えてきた川高。コミュニティの中心であり文化や情報発信基地でもあった。賞賛に値することは、「小さい」「少ない」というハンディキャップを見事なまでに克服してきたことではないだろうか。
閉校式には地元の中学生全員が参列していた。学校側の気遣いに胸が熱くなった。歴史の証言者として廃校になるとはどういうことなのか、その時大人や地域が何をしたのか、いつまでもその目に焼き付けていてほしい。まもなく歴史の片隅に追いやられてしまうだろう。しかし、この60年間川高が果たしてきた役割は永遠に語り継がれていくと信じている。支えていただいた全ての人に感謝して惜別としたい。