10月1日に解除する国の方針を受け入れた。
2012年1月31日帰村宣言した時のことを思い出した。あの時も胃の辺がキュッと締め付けられた。住民の思いが相反する問題をどう解決すべきか・・・。
昨年の11月から解除に向けた懇談会を8回開催してきた。仮設住宅での開催回数を含めると14回になる。4月に準備宿泊がスタートと同時に道路などインフラ整備、モニタリング、解体家屋と雪害による家屋解体調査、第三者専門家委員による検証委員会などを進めてきた。
7月13日、14日開催した懇談会で準備宿泊期間が終了する7月26日の解除の政府提案を押し返した。理由は検証委員会の答申が提出されていないこと、道路の整備や環境整備にもう少し時間が必要であること、居住制限区域と一緒の解除の検討、フォローアップ除染の見通しが示されていないことなど。
8月5日に検証委員会から条件付きながら現時点での解除は適当との判断が示された。9日に赤羽副大臣が現地を視察、14日には区長・副区長、地元議員から12月1日解除の提案を受け、そのことを政府に伝えた。
17日午前中、村と議会に準備宿泊が終わる8月26日、もしくは10月1日に解除したいと政府の方針が示された。
政府は準備宿泊終了時8月26日に解除できない理由がないと説明。村としてはもう少し時間が必要と見直しを要求した。議会と住民懇談会に8月26日と10月1日の2案を提案することを了承。住民懇談会では、線量への不安、フォローアップ除染の基準、インフラ整備、補償期間などで異論があった。
最後に、帰りたい住民がいること、道路や環境整備が9月中に整備されること、集会所のリフォームが進むこと、au携帯電話供用開始され、ドコモが検討されること、フォローアップ除染が9月から始まること、医療バスの運行、移動販売や宅配がスタートすること、それに検証委員会の判断などを勘案して政府方針を受け入れた。併せて居住制限区域を10月1日に避難解除準備区域に再編する予定。
解除準備区域は富岡町や大熊町に隣接して、買い物や病院、高校通学など両町に頼っていた住民が多いのも事実。両町がいまだ解除の見通しが立っていない中で、以前のような生活ができるのかどうか不安視するのは当然。そのために現在商業施設や特養施設の建設を進めている。利用できるまでの間、医療バスや宅配がスタートした。
さらにフォローアップ除染や森林除染の問題もある。また20キロ圏内で原発が落ち着いていないことへの不安もある。当然村がやるべきことはしっかり頑張っていくが、政府としてもう一度丁寧に見直して対策や方向性を示してほしい。
解除によって新たなステージに踏み出していくことになる。既に農業法人が立ち上がり水稲作付のための実証田や花卉栽培が始まっている。採草地を利用した太陽光の提案も受けている。ポジティブな動きが出てきていることも確かだ。家屋の解体は今年中には終わる予定だ。その後新築を考えている住民もいる。村としてやれることはどんなことでもやるつもりだ。「戻ってよかった」と言われるように、腹を決めて復興を進めていく。