「会って、知って、別れる」は人の世の常。しかしそのシチュエーションになると寂しい。
それぞれのポジションでひたすら村政発展と村民の幸せのため、さらに震災原発事故後の復興と新たな村作りのために心血を注いでいただきました。
薄 教育課長は35年間奉職し定年退職。震災後教育課長として、子供たちの確認と支援、戻ってきた子供たちのハンディキャップの最小化など、教育環境の整備にご尽力をいただきました。
吉岡医療係長は、看護師として村民の健康を守る医療現場の最前線で16年間勤めていただきました。震災後は診療科目が増え、ドクターの調整などで苦労も多かったことと思います。
営繕係伊藤さんは、復興支援員として1年間勤務していただきました。復興関連事業の工業団地造成工事、総合グランド改修、葬祭場増築工事などの設計施行管理を行っていただきました。
農業普及所の半沢さんは、農業の再生のために3年間指導していただきました。特に野菜勉強会を立ち上げ、地域の人たちと珍しい野菜作りを通して、住民の絆やコミュニティーつくりに貢献していただきました。
茨城県那珂市から復興支援員として派遣されていた中山保健師が、2年間の勤務を終えて戻られる。がん検診や特定健診の未受診者宅を訪問して、受診を促したり、仮設住宅の高齢者の健康調査などをしていただきました。
CAP(復興再生事務所)の嶋さんは、復興関連事業の予算や許認可などでお世話になりました。1年間という短い時間でしたが、職員のわがままを聞いていただきました。
5名の方々には、僕の拙いダジャレにお付き合いいただきとても感謝しております。もう少しレベルアップに努めますので、時々冷やかしにきてください。
いよいよ4月からは新たなステージです。心に秘めたるものがあると思いますが、肩書きがなくなったり環境が変わったりした時に、その人の真価が問われるかもしれません。健康に留意されご活躍ください。お世話になりました。