25年前のチェルノブイリ原発事故でウクライナ、ベラルーシの国民は福島と同様の大惨事に遭遇し、大きな苦難を経験している。25年が経過した今原発の収束に向けてどのような作業が行われているのか、除染の方法はまたその結果は、健康被害の状況はまたその管理は、食品の安全性をどのように担保しているのか、情報発信と住民がどのように受け止めたのか、復旧・復興の状況は、などチェルノブイリ事故からから学ぶことは多い。
チェルノブイリ原発は黒鉛炉で格納容器が無い。構造上の問題と人為的ミスにより核分裂が暴走して起きた。事故が起きたのは4号機1基だけである。一方福島第一原発は軽水炉で格納容器があり4基の原子炉で事故が発生、自然災害が引き金となった。チェルノブイリ原発は高温で運転中に暴走、崩壊した炉心が空中にむき出しになり、放射性物質が空中高く舞い上がった。放射性物質の飛散を防止するため大急ぎで原子炉全体を覆う作業が進められ、2,500℃の高温になっている原子炉に砂やジャリ、鉛がヘリコプターなどで約5000トン投下された。かなり拙速な工事が行われ、後の検証では作業の進め方が疑問視された。
炉の炉心溶融物は炉の底さらに建屋床を突き抜け地階まで広がり、投下物が障害になり調査そのものが限定的となった。現在石棺の劣化が進み、1600億円掛け100年耐えることができる新たなシェルターで覆う計画が検討されている。しかし、燃料そのものの取出しにはなんら計画が示されていなく、根本的な事故収束には計り知れない時間と費用が必要になってくる。
チェルノブイリ原発は軍事用としてプルトニュウムの抽出も目的であり、構造上事故は起こるべきして起きた可能性もある。当時の最先端の科学と技術で建設された原発を、今最先端の技術で葬り去ろうとしている。非生産的な作業を永遠に繰り返さなければならない現実を目の当たりにして、なんとも複雑な気持ちになった。
時空を超えたものに対してもう少し謙虚であるべき。原発事故は人間のおごりそのもの。
にもかかわらず、ベラルーシでは原発の建設を決定し、ウクライナでは13基の原発を作る計画があるという。
25年も経つとすでにチェルノブイリは過去のものになってしまったのかもしれない。
今後、福島第一原子炉4基をどのように安全に解体していくのか、大変な作業になることは間違いない。チェルノブイリ原発のように短期的処方箋が優先させるようなことではいけない。長い時間が掛かっても内部の崩壊炉心や燃料を全て取り出し、恒久的に安全・安心なものにしなければならない。このことは廃炉に向けた計画段階から地元が参画していくことが不可欠である。なぜなら研究開発や事業実施などは、双葉地方の将来のあり方や地域振興の側面を有しているからである。
チェルノブイリ市内の記念公園に事故で消滅した自治体の名前が並んでいる。188本のプラカードが塔婆のように建っている様は他人事ではない。生まれ育った村の名前が書かれたプラカードの根本に花が添えられていたのが印象的であった。公園の片隅には、「FUKUSHIMA」と書かれたモニュメントがあった。既に
FUKUSHIMAは世界共通語になっていた。